「あー愛さん?」
間抜けにオウム返しする順二。
「そうよ!ちょっと待って。今ヤモさんと替わるから」
愛が司会者に、電話を手渡すのが見えた。
「どうも初めまして、ヤモリです」
「はあ、初めまして」
順二の思考は、八割方ストップしていた。
「それじゃあ早速ですけど、明日来てくれるかな?」
「あ、いいとも!」
反射的に、順二は叫んでいた。
携帯を構えたまま固まる順二をよそに、画面の中の二人は、コーナーの締めに入っていた。
「もしもし、山田さん?」
携帯から聞こえてきた、今度こそ全く聞き覚えのない声に、順二はびくっと体をすくませた。
「山田さん?番組のスタッフですけど、聞いてます?」
「ああ、聞こえてますよ」
「明日、午前11時までに、局の受付に来て下さい。よろしくお願いしますね」
「あ、あのちょっと待って!」
そのまま電話を切られそうで、慌てて順二はスタッフを止める。
「明日、どうして?あの俺ですか?その……」
全く日本語になってなかったが、スタッフは理解してくれたようだ。
「なんでって、山田さんいいともって言いましたよね?じゃあ明日よろしくお願いしますね」
結局一方的に電話を切られてしまった。
「な、なんなんだ……」
その日の仕事は、散々だった。
集中力がいつにも増して散漫だった。
山さんには、怒鳴られっぱなしで、事件現場の痕跡を危うく消してしまいそうになったぐらいだ。
せめてもの救いが、刑事部屋の順二以外のみんなは、忙し過ぎてお昼の番組など、誰も見ていないことだった。それもどうかと順二自身思ったのだが。
明日はちょうど非番で、体は空いている。
しかし、そもそも刑事である自分が、テレビ出演などしてもいいのか?
そんなことを考えているうちに、勤務時間が終わりに近付き、帰る支度を始めたところで、順二は刑事部長に呼び出された。
そんなことは、初めてだった。
順二は、嫌な予感がしたが、部屋に入った彼を出迎えた刑事部長の言葉は、予想を裏切らないものだった。
「山田君、テレビ見たよ」
びしっと、頭の天辺から背中に沿って、一本の真っ直ぐな鉄の棒を入れられたように、直立不動になる。
「あ、あれは、その違うんです!私は……」
刑事部長はじろりと順二を睨み、
「君は明日はちょうど非番らしいね。頑張りたまえ。我々の会社のイメージアップに貢献してくれよ」
最後は、にっこり微笑む刑事部長。
「あの、ということは、テレビ出演は?」
恐る恐る順二は聞いた。
「まあ本来なら、特命として辞令を出すところだが、その必要もないだろう」
刑事部長は、笑みを絶やさず言った。
「いいともって言ったんだからな、君は」
家に帰ってからも順二は、まだ頭が混乱していた。
「なんなんだ、いったい。何かの陰謀か?刑事部長までからんでるなんて、相当大規模なドッキリだぞ」
シャワーを浴びながら、独り言が止まらない。
「だいたい誰なんだあの藤巻って。なんで俺の携帯番号知ってるんだ?」
シャワーから出て体を拭いていると、携帯が鳴った。
見たことのない番号が、サブ液晶に表示されている。
まさかと思いながらも、順二は携帯を開いた。
「もしもし、山田ですけど」
「順二君?私です、わかりますか?」
弾んだ声は聞き覚えがある。
「藤巻さん?」
「そうです。あの、今日はすいませんでした。突然電話しちゃって。でも良かった。いいともって言ってくれて」
「あの、そのことなんだけど、誰かと間違ってませんか?僕は藤巻さんのこと知らないんですよ。すいません」
携帯を持ちながら、本当に頭を下げる順二。
「いやだあ、順二君やっぱり私のこと覚えてなかったのね。まあでも仕方ないか、あの頃とは私、だいぶ変わっちゃってるし。そもそも名前が違うんだもんね」
そう言って彼女は、楽しそうに笑う。
「名前が違うって、じゃあ君はいったい……」
「私、藤本舞よ」
彼女の告げた名前で、順二の記憶が一気に蘇る。
「もしかして、舞ブー?あ、ごめん……」
「いいの、気にしなくて。そう呼ばれてたことも、順二君はそう呼ばなかったことも、知ってたから」
舞は、明るい声で言った。
努めて、そうしているように聞こえた。
今順二は、はっきりと彼女のことをその声を思い出していた。
昼間のあの電話のとき、聞き覚えのある声と感じたのを、順二は直前のテレビで、とばかり思っていた。
そうじゃなかった。
その声は、遠い昔、彼の中学時代に強く印象づけられた記憶だった。
「そうか、藤本だったんだ。言われてみれば面影あるかなあ」
「もう、相変わらず調子いいんだから。でも、本当のわたしのことは、覚えててくれたんだ。嬉しい」
確かに順二は覚えていた。彼女の声を覚えていた。
彼女は中学3年生の時の同級生だった。
彼女はいわゆるイジメられっこだった。
順二はイジメには参加しなかったが、特に彼女と話をした訳でもなかった。
それでも、彼女の声を覚えていた。
それほど、印象深い声だった。
はっきり言うと、順二は彼女の声が好きだった。
でも当時はそんなことは、周りには言えなかった。
好きなものを素直に好きと言えない、そんな切ない青春の記憶が、順二の中で彼女の声とともに蘇っていた。
「順二君、覚えてるかな?」
中学時代に飛んでいた思考が、引き戻される。
「え、なにを?」
「あのね、あの頃わたし、いじめられてたでしょ。それである日、どうしようもなく落ち込んでた時に、教室で独りでいた私に、順二君が話かけてくれたの」
「そうだったっけ」
「やっぱり覚えてないんだ」
彼女は笑いながら言った。
「ごめん」
「ううん、いいの。それでね、順二君、急に教室の中に入って来て、『藤本って、いい声してるよな』って。それだけ言って、またすぐに教室から出て行っちゃった……」
微かだが、順二にも思い出せる部分があった。
「俺、そんなこと言ったんだな」
「そうよ。それで私、歌手を目指そうって思ったの。順二君のあの一言がなかったら、今の私はなかったわ」
彼女はその美しい声で、きっぱりと言った。
「だから、いつかあの番組に出る事があったら、絶対に順二君を呼ぼうって、ずっと前から決めてたの。今は女優をしてるけど、まだ歌手になるのを諦めたわけじゃないのよ。その夢を持つきっかけを作ってくれたのが順二君なの」
そう言うと、彼女は順二の言葉を待つ様に沈黙した。
それに答えて順二は言う。
「そっか。そんな風に思っててくれたんだ。ありがとう」
順二はまた、携帯を持ったまま頭を下げる。
「それは、わたしの台詞よ。本当にありがとう」
そして、ふたりで笑った。
落ち着いた所で、順二は疑問に思っていたことを聞く。
「そういえば、携帯の番号はどうやって?」
すると彼女は、笑った。
「ああ、それなら順二君の実家に電話したら、お母様が教えてくれたわ」
「お袋かあ。まったく刑事の母親なのに……」
順二は母親の軽率な行動に溜め息をつく。
「そう、その時に順二君が刑事になったことも聞いたの。ぴったりだと思った。順二君、昔から正義の人だったから」
順二はむずがゆくなる。
「いや、おれは別にそんな大したことないさ」
「ううん、私にとって、順二君はいつまでも正義の味方だから」
ふたりの間に沈黙が流れた。
「藤本、お、おれ……」
言いかけた順二の声に、舞の声が重なる。
それは、ふたりの最初で最後のハーモニーだった。
「わたし、これからまた仕事なの。もう切らなくちゃ。ごめんね」
自分が遮った順二の言葉を、彼女は聞き返そうとはしなかった。
順二もそのまま、続きを自分の中に閉じ込めた。
「そっか、やっぱり忙しいんだな。じゃあ明日は頑張るよ」
「うん。期待して見てるね。じゃあ、さよなら」
「ああ、さよなら」
そのまま順二は携帯を切った。
すっかり乾いている髪の毛を、なおもタオルでゴシゴシ拭きながら、順二は缶ビールのプルタブを起こした。
「藤本舞か……」
呟きながら順二は、自分が中学の頃に好きだったのは、本当に彼女の声だけだったのかと考えた。
本当は彼女自身が好きだったことをとうに思い出していた。
順二はぐっとビールをあおり、ひとりでにやけるのだった。
ビールを飲み終える頃、順二は少し冷静になっていた。
そりゃこのまま終わったらいい話さ。
でもおれは明日テレビに出る。
まあ、それもいいさ。
でもその後で、俺は誰に電話をかけたらいいんだ?
子供の頃から続くあの番組を、自分が終らせることになるかと思うと、幸せに浸ってばかりもいられない順二だった。
END
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