「どういうことですか?」
笠茂の言っていることの意味がよく掴めず、坂東は思わず聞き返した。
「私はあらゆるニーズに対応するべく、常に多種多様な分野の原稿を用意しています。例えば…何か分野を指定してください」
「はあ。じゃあ、政治?」
坂東は意味が分からないまま、言われるままに思いついた分野を口にした。
「政治?そんな広くていいのですか?政治といっても国政と地方自治、それぞれの選挙から政党、派閥、政治家自身等々、色々ありますよ」
そう言うと笠茂は、彼が持ってきた鞄の中をごそごそ探りだし、一つのポーチのようなものを取り出した。
ポーチにはビニールの名札入れがついており、そこに「政治」と書かれたタイトル用紙が入れてある。
A4サイズのポーチは、3面にファスナーが付いており、笠茂はそれを開けてポーチを広げると、中にはびっしりとフラッシュメモリーが入っていた。
その中の一つを取り出し、
「すいません、パソコンお借り願いますか?WORDじゃなくて、一太郎がいいのですけど」
坂東は自身のノートパソコンを持ってきて笠茂に渡す。
しかし、坂東のパソコンは笠茂の持っているフラッシュメモリーに対応したポートがなかった。
それに気付いた笠茂は、再び鞄の中をごそごそやりだし、USBケーブルの付いたカードリーダーを取り出す。
「見た目と違ってずいぶんハイテクだな」
と坂東が感心するほど、笠茂は手際よくパソコンとカードリーダーを繋ぎ、フラッシュメモリーを挿入する。
キーボードを叩いて画面に原稿のフォルダを出し、更にいくつかあるファイルから一つ選んで原稿を画面に映し出した。
「これが政治分野の中でも選挙についての原稿を集めたものでして。さらに細かく分類されています」
坂東は感心した。
いくつかの文章を読んでみたが、それなりの内容が書かれており、可も無く不可も無い。
しかし、その分野の多岐にわたる点は驚くべきものがある。
かといって、特に今必要となる原稿はうちにはない。
その旨を伝えると笠茂は、
「ああ、いいんです。いつでも言っていただければ、すぐにお届けにあがりますから」
そうい言って、おそらくパソコンを使って作ったのであろう、自分の名刺を置いて帰っていった。
「おもしろい人だ」
と思いながら坂東は、名刺をホルダーに突っ込んだ。
数日後、坂東のいる編集部は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
締め切り直前になって原稿が間に合わない。
ある雑誌の特集企画で「旅」をテーマにいくつかのコラムを何人かの文人に書いてもらっていた。
もちろん万一のために、代替原稿の作家も頼んでいたのだが、その数を上回る作家が原稿を落としていた。
坂東は笠茂の事を思い出し、名刺を探し出し電話をかけてみる。
「あすなろ出版の坂東ですが、先日はどうも。それでいきなりなのですが、笠茂さんに依頼したいのですが。旅をテーマにした作品は……」
「ええ、もちろん取り揃えてますよ。旅といっても国内、海外、グルメの旅、温泉、名跡巡り……」
「あの、すいません。とりあえず急いでますから、旅関係を全部持って来てください」
程なく、笠茂は現れる。
「分野はどんなものが?」
編集部のごたごたした様子を察してか、先日の応接スペースに案内される前に、笠茂の方から切り出した。
「そうですね、実は今日笠茂さんにお願いしたのも、何組か内容がバッティングしたこともあって……」
「それなら、そのテーマを言ってくだされば、それ以外から選びましょう」
そう言いながら笠茂はまた例の鞄からポーチを取り出した。
名札には当然「旅」と書かれている。
(なるほど、これは意外に便利だな)
と坂東は思った。
そしてパソコンの画面上でテーマを取捨選択し、文章を読んでみる。
相変わらず可も無く不可も無い文章だったが、この緊急時には不可がなければそれでいい。
そんなことを思いながら坂東は、
「うん、これがいいですね。長さもちょうどいいし」
と一つの文章を選んで言った。
「じゃあ、これいただきます」
そう言うと坂東は早速そのファイルをコピーして、編集部のサーバーに転送した。
「まいどあり」
笠茂はその様子をみながら嬉しそうに言った。
坂東は笠茂に、通常より色をつけた原稿料を払った。
笠茂も満足げだ。
「いやあ、助かりましたよ。おそらくこういう事はこれからもまたあると思うので、その時はよろしくお願いしますよ」
坂東は笠茂を編集部の出口で見送りながら言った。
「はい、こちらこそ」
そう言うと笠茂は、ぺこりと頭を下げて帰っていった。
数日後、またしても原稿が間に合わない事態が起きた。
今回は、最近起きた少年による凶悪犯罪を受けて、少年犯罪をテーマにしたコラムを頼んでいたが、その作家が急病(本当かどうか怪しいが)のために原稿がない。
早速、坂東は再び笠茂の所に電話をかける。
「どうも坂東ですけど、またお願いしたいのですが。今度は少年犯罪と両親というテーマで」
坂東は今までのことを踏まえて、少しテーマを絞って頼んでみた。
すると電話越しの笠茂はすまなそうに、
「ああ、坂東さん申し訳ない。つい昨日、代現出版さんから全く同じテーマを依頼されまして。売れたテーマはすぐに新しいのを書くのですが、昨日の今日なんでね」
(まあ、ありえる話だ)
そう坂東は思った。
最近起こった事件をテーマにしているわけだし。
それに笠茂が他の出版社に出入りしていることも初めて知らされたが、それも至極当然だろう。
笠茂と坂東は何の契約も交わしていないのだ。
「それではちょっとテーマを変えて、少年犯罪とトラウマってのは残ってますか?」
ちょっと間があって、
「ああ、ありますよ。今から伺いますよ」
また笠茂によって急場を凌いだ。
坂東はまた多めの原稿料を笠茂に渡す。
「笠茂さん。やっぱりうち専属ってわけには……」
坂東がそう言いかけると、笠茂は複雑な表情をして、
「そうですね、今の形を取ってたらね。申し訳ないです」
「ですよね」
(しかし、それはそれでしかたがない。
やはり、笠茂の文章は特別にいいとは言えない。
が、代原としてはそこそこ使える。
今のままの関係がお互いにベストなのかもしれない。
今月はうちと代現出版とで2本も掲載したのだ)
そんなことを考えながら坂東は、ふと思いついて笠茂に尋ねる。
「笠茂さん。オリジナル…といえば全部オリジナルか。例えば長編とかは書かないんですか?」
すると笠茂は表情を明るくして、
「ああもちろん昔は書きましたし、今もぼちぼち書いてますよ。出版されたことは無いのですけど。どんな分野か言ってくれれば、短編ほどではないですけれど色々ありますよ」
「はあ、考えておきます」
坂東は曖昧な返事をした。
坂東の編集している雑誌では、毎号掲載した記事に対しての読者アンケートを実施している。
その号の全ての記事から面白かった記事3つ、つまらなかった記事3つを選んでもらうのだ。
笠茂の文章に対して、「面白い」にも「つまらない」にも票が入ったことは無かった。
それだけ無味乾燥な文章といったところなのだろう。
坂東自身も笠茂に対して同じ印象だった。
とはいえ、笠茂に助けられたのは事実だし、これからもお世話になりそうだ。
坂東はあすなろ出版の他の編集部にも、笠茂のことを紹介してやった。
笠茂は素直に感謝して、出版社をあとにした。
数ヶ月がたち、その間坂東自身や他の編集部が数回、笠茂を利用した。
他の出版社の雑誌にもちょくちょく笠茂の名前が載っていたり、名無しの文章でも、
「これは笠茂さんのだな」
と思えるものが時々見られるようになってきた。
「笠茂さんはある意味売れっ子なのかもしれないな」
坂東はそれらを見かける度に、そう思うようになった。
ある日、他の出版社で編集をしている友人と飲んだ時も、笠茂の話題が出た。
「お前のところも笠茂、使ってるだろ」
そう言って切り出してきたのは、坂東の友人の方だった。
「ああ、そういうお前のところも」
坂東も切り返す。
「便利だからな」
「まあね」
2人は互いにシニカルな笑みを浮かべながら、グラスに口をつける。
「ただ、どうなんだろうねえ、ああゆうのも。彼はこの先もずっとああいう事を続けるのかな」
友人が質問ともひとり言ともとれるような言い方でつぶやいた。
「本人はどうしたいんだろう。今のままの商売人を続けたいのか、作家にまだなりたいのか」
坂東も同じようにつぶやく。
友人は坂東の方に向き直り、
「お前の所で笠茂さんの本出さないのか?」
雑誌以外に笠茂自身の出版物を出したところは、坂東の知る限りない。
「そうだなあ。もう一度そこらへんを笠茂さんに聞いてみようかな」
坂東は明日にも笠茂に電話してみることにした。
翌日坂東は、編集長に笠茂の作品を出版する企画を提案してみる。
その頃には編集長も笠茂の存在を承知であり、重宝もしていた。
「うーん、まあとりあえず、新しくなんか書いてもらいなよ。それからだな」
手堅い編集長らしい意見だった。
(もっともな話だ)
そう思いながら坂東は自分の机に戻り、笠茂に電話をかけた。
「ご無沙汰してます、坂東です。実は折り入って笠茂さんに話が」
「何でしょう?」
「笠茂さん、長編一本書いてみませんか?オリジナル…今までのもオリジナルでしょうが、そう新作、今までに書いた事の無い新作でお願いしますよ。うまくいけば本になりますよ。編集長も乗り気だし」
坂東はやる気を促すために少し誇張して言った。
「本当ですか?うーん新作か……」
「そう、新しい分野で。笠茂さん、作家に本当に作家になるチャンスですよ」
坂東は決して笠茂のことを、先生と呼んだことは無かった。
「わかりました。では数日待って下さい」
そう言うと笠茂は電話を切った。
数日後、笠茂があすなろ出版に坂東を訪ねてきた。
「待ってましたよ。いいの出来ました?」
坂東はいつもの応接セットに笠茂を通して言った。
「まあとにかく見てください」
そう言うと笠茂は、いつものように鞄からポーチを取り出すことなく、上着のポケットから直接一個のフラッシュメモリーを取り出して、坂東に手渡した。
坂東は受け取り、ノートパソコンに既に繋いであるカードリーダーに差し込んだ。
「それでは拝見させていただきます」
坂東は画面に目を落とし、文章を読み始める。
しばらく読んでいるうちに坂東は、
「こ、これは」
と言いながら笠茂の顔を見つめる。
「はあ」
笠茂は顔を赤くして、ぽりぽり頭をかいた。
「どうも、新しいこれまでに書いたことの無いものと言われて、困ってしまいまして。なんせ今までにほとんど全ての分野のものを書きつくした私でしたから」
「なるほど、そうでしょうね」
それについては坂東もこれまでに実感済みであった。
「それではっと思いまして。唯一書いてなかったのが……」
それは彼の自伝だった。
「うーん」
坂東は意外なものを突きつけられ戸惑いながらも、とりあえず読み進んだ。
ところが意に反してこれが中々いい。
まさか目の前のこの平凡なおじさんが、こんなにも波乱万丈の人生を歩んできたとは。
二転三転する人生模様に惹きつけられ、坂東は一気に読み終えた。
笠茂はずっとそんな坂東の顔色を伺っていた。
「笠茂さん、いいですね。本に出来そうですよ」
「本当ですか?」
笠茂は満面の笑みを浮かべながら言った。
「ええ、とりあえず編集長に企画出しますから」
坂東も笑顔で答えた。
笠茂は何度もお辞儀をしながら御礼の言葉を繰り返し、喜び勇んで帰っていった。
笠茂が帰ったのを見て、坂東は早速電話をかけた。
相手の遠藤は、笠茂が現れて以来、疎遠になっていたが、前は重宝していたお抱え作家だった。
彼は文章力は非常に優れているが、発想が貧困で、面白いプロットを考え出す能力に欠けていた。
それゆえに彼も未だに代原作家どまりで、自身の本が出版されたことは無かった。
「ああ、坂東だけど久しぶり。遠藤ちゃんに書いて欲しいものがあるのだけど」
数ヵ月後、遠藤が書いた笠茂健人の自伝はベストセラーになった。
END
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